ラグビーの歴史 第2章:組織化されたゲームへの道のり

ラグビーが始まった頃、そのルールは固定されていませんでした。試合ごとにルールが変わり、フィールドのサイズやプレイヤーの数、ゲームの目標は場所とともに変化しました。しかし、19世紀の半ばになると、ラグビーは組織化の道を歩み始めます。その起点となったのが、イングランドラグビーフットボール連盟(RFU)の設立でした。

RFUは1871年に設立されました。その主な目的は、ゲームのルールを統一することで、これまでバラバラだったラグビーの世界を一つにまとめることにありました。RFUの設立は、ラグビーの歴史における重要なマイルストーンとなりました。これにより、ラグビーはより組織化され、構造化されたスポーツとなり、さまざまなクラブや学校間での試合が可能になりました。

RFUの設立の翌年、すなわち1872年には、早くも初の国際試合が行われました。その試合はスコットランドとイングランドの間で行われ、スコットランドが勝利しました。この試合は、エディンバラのラウンドリーパークで行われ、4000人以上の観客が詰めかけました。この国際試合は、ラグビーが国境を越えて広がっていく始まりを告げるものでした。

初期のラグビーのルールは現在のものとはかなり異なっていました。たとえば、トライ(現在のラグビーにおける主要な得点方法)は当初、追加の得点機会を得る権利を与えるだけで、自体は得点にはなりませんでした。この他にも、現代のラグビーでは不可欠なルール、例えばノックオンやオフサイドなどは当初存在していませんでした。

19世紀末には、ラグビーのルールはだいぶ洗練され、現代のゲームに近い形になっていきました。トライが得点として認められ、ノックオンやオフサイドのルールが導入され、フィールドとボールのサイズも標準化されました。また、選手数は20人から現在の15人に減らされました。

こうして、ラグビーは自己のアイデンティティを確立し、独自のスポーツとしての地位を築きました。しかし、その発展には大きな試練も伴いました。次の章では、ラグビーが直面した最初の大きな試練、すなわちプロフェッショナルとアマチュアの間での分裂について見ていきましょう。

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